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月に群雲

切り替えながら、進むのさ。

嗜好品における選民意識

monologue

夫がそれに携わる仕事をしている立場でなんなのだが・・・

ワイン愛好家には選民意識が高い人たちが多い、と思うような場面に時々ぶつかる。

私も酒好きなので、何が美味しいと聞けば気になりもするが、飲めるかどうかは縁というか、暮らしぶり以上の高望みはいけないと思っているので執着はしなくなった。
それが何千円の値付けのものだとしても、手に入れるために時間とお金と気力をかけ過ぎれば万単位の出費と同じだ。
勿論、時間とお金と気力をかけてでも手に入れたいと思う人は、それはそれでいいと思う。

知り合いの酒屋が、遠方からあるワインの問い合わせを電話で受けた。
それまでにどこに問い合わせても「うちにはない」の一点張りで(しかもうち一軒は塩対応で)、電話の主は、その時点でキレかかっていた。
はたして、その酒屋にもその物はない。
電話の主はブチ切れし、酒屋に八つ当たりした。
「俺にはその酒を飲む資格がないってのか!!」
酒屋が何とかなだめて、電話は終わったそうである。

そこまで聞くと、私は電話の主と酒屋にそれぞれ同情してしまうのだが、「そうだね。飲む資格はないんだろうね」と言い放つ人が数名いたことに驚いた。

資格・・・。
売り言葉に買い言葉なのだろうが、酒を飲むのに資格なんか要るのだろうか。
そしてそれを言う人間は、自分にはその資格があると思っているのだろうか。
それとも俺だって飲んでないのにお前が飲めるわけないだろうという意地悪な気持ちがそう言わせるのだろうか。
或いは高度な皮肉?あぁわからない。

直接関係のない人間に八つ当たりするのは確かに大人げないが、どうやっても欲しいものが手に入らない他人の状況というのは、別に茶化すものでもないんじゃないかな(「資格」という言葉がどれだけ刺さったしろ)。
それに買い手に情報すら届かない流通の仕方にだって、実は問題があるのだ。
「大体そこのワイナリー、自分とこのワインの問合せに関しては酒屋に丸投げなの?」ってとこを、私は見てしまう。

ワインに興味がないという人にとっては、なんかくだらないわよねーって話なのだろう。
お酒以外のことでもこういう話はあるものなのか、それもちょっと気になるところだ。

お恥ずかしいボヤキで失礼をば。